春先

季節に慣れることはない。去年の春もその前の春もとっても綺麗だったことを、今年の春の最初の日に思い出す。匂いも肌触りも、出会う毎に愛おしくて、本当に綺麗なものは過去も今も変わらず、どの時点を切り取ったって綺麗なのだとわかる。思い出の中の春も今目の前にある春も、同じ色をしている。

でも、綺麗なばかりの春なんて嘘だろうよ。頭が沸いているだけだ。

雪がとけて、カラフルな蛆虫が地面から這い出て山から降りてきて、それが脳に寄生するから春は幸せなんです。いかれた人が街に少しだけ増えるし、私の頭も浮ついている。そして、そうして幸せな季節に油断をしたころに夏が襲いにかかってくることを、私は身をもって知っている。春が来るなら夏だってあること、今年の私は忘れていない。春に浮ついている場合ではなくて、そろそろ夏の下準備を始めなくてはならない。春は買ったきり一度も着ていないワンピースを着るための季節、終わらせるなら夏の前です。恋や、花見や、いのちなど。

未来

自分に自信を持ったら、自分の目の前に広がる未来が見えて、欲が出てきた。広がる未来があると思ったら、その可能性を狭めたくなくて、怖くて一歩が踏み出せなくなった。やりたいこととやらない言い訳は、一緒に増えていく。

それを成長や賢明な判断だと呼ぶのは、くそくらえだと、心の底から思った。

明日がある、夢がある、未来があると思ったら何もできなくなってしまったその時に、未来が無いと思いこめば、何でもできることに気付いた。自分に未来なんてものは無いとしたら、何処に行って誰に会って何をしたい? 臆病者には、未来が無いと思い込まないと、伝えられない言葉もある。

未来が無いと思わないと伝えられない言葉を口に出して明日後悔をしたとして、未来がある私は丁寧にその始末をする。やりたいことなど所詮その始末で片付けられる程度のことがほとんどだと気が付いて、安心をしたし、がっかりもした。

与える

不在の天使 逆光の午睡 光を透かす髪をさらに彩れ

与えるだけの存在になれるほどの孤独を知りたい。失うことに慣れきっていれば、何を与えたって平気でいられるのだろう。こころが寂しくて埋まらないことについて。厚かましく奪う作法を学ぶよりも、失うことに慣れた方がよほどいいと、気高くあろうと、虚勢を張っている。

マザーテレサの亡霊たち

与え損ねた人間が、からだの奥から溢れる善意で、内側から内臓を圧迫されて死んでいくのを何度も見た。与えるにも相手が必要なのである。気高く構え、「人を選び、選ばれた者には与えて差し上げる」という傲慢な娯楽をしたいのであれば、それなりの人格を育んでいかなくてはならない。

まるくてやわらかいものを上手に持てる人

本当は、丸くて柔らかいものを上手に撫でられる指、触れられる腕、壊さないように与えられる力加減を、身をもって知りたい。

懐古

かつて素敵だと感じた何かが時間とともに色褪せるのは、私自身がそれだけの時間を過ごした証拠のひとつで、大抵は成長とか、経験を重ねたこととかが理由なので、何かが色褪せること自体は大して悲しむべきものではないと知っている。

幼少期に遊んだ玩具も今ではつまらない、高校時代に好んだ歌詞は今では幼くて恥ずかしい、宝物も今じゃゴミ、そのようなことでいちいち悲しんでいたら生きてはいけない。それでも色褪せてしまったかつてきらめいたものたちへの執着や、そのきらめきを今の自分の五感では感じられなくなってしまった寂しさ、何より何か大切なものをその当時に置いてきてしまったのではないかという心配という矮小な理由によって、悲しみに似た気持ちを感じることはしばしばある。そして、その気持ちを懐古として楽しむことができるようになるのは、もう少し先だろうと思う。

人は、アルバムを作る。

時間が経って色褪せて、やっと丁度よく整って綺麗、みたいなものがあったらいいのにと思って、時間が経つほど綺麗になるものって何だろうと考えた。人間はどうだろうか、きっと人によって評価が分かれるところ。

今が一番綺麗なその一瞬で時を止めたい、綺麗なものに綺麗であってほしいという傲慢な願いが尽きない。

モデル

私と近い魂の構造をしているあなたの感情や思考を全くそのまま読み取ってしまうので、魂の構造が近しいあなたにはなるべく近づかないようにしているし、やむを得ない状況や私利私欲によって近づくときには、心のスイッチを切るようにしている。感情や思考を全くそのまま読み取ってしまう、無意識レベルでのトレース、私もあなたも事故を起こすまでは気付かないシンクロ、嫌悪するあなたが相手のときはすごく不快だし、好ましいあなたが相手の時は恐ろしくなる。

遠い魂の構造をしているあなたを、人間と認識することがむつかしいので、最大限丁重に扱っているつもりでもすぐに壊す。直し方もわからない、目を向けるにも忍びない、直視できず知らんぷりで時間が過ぎるうちに、忘れたり忘れられたりする。

J-POPの「あなた」に特定の一人を投影できる人がうらやましい。いつも、不在のあなたに共感をしている。それだけならまだいい、仮想敵に同情をし始めたらお仕舞である。

好き嫌い

雨の日の外出が嫌い、食事が嫌い、帰路が嫌い、寒いのが嫌い、3人以上人がいるのも嫌い、車が通る道が嫌い、冬の洗濯が嫌い、一度も言葉を交わしたことのない知らない人はみんな嫌い、地元の駅が嫌い、遠慮のない明るさの照明が嫌い、夏の葉っぱの緑色が全部違う緑色をしているのが嫌い、図書館の本の汚れ具合がまちまちなのが嫌い、明瞭な発音の言葉が四方八方からたくさん聞こえてくるのが嫌い、嫌いなものがあまりに多くて、好きなものを増やさなくては生きていけなかった。だから、好きなものがとてもたくさんに増えてしまった。

好きなものが増えると、好きな気持ちを守るために、いろいろな努力をしなくちゃいけなくなる。何かを好きになるというのは簡単だけれども、何かを好きでい続けるというのは本当に難しく、理性と体力が必要なことだ。何かを好きでい続けるためには、とっても頑張らなきゃいけない。一日だって休んではいけない、本だって黄ばむし、花だって腐る。相手が生ものだったらなおさら、色褪せやすい。

好きなものを増やし、好きなものを好きでいるための努力をし続けるだけで一生が終わってもいい、と思うこともある。好きでいるだけではなく、うまく大事にできるようになろうと思うならば、命のすべてを使って足りるかどうかさえ怪しいけれども、それでも何かを好きでいる幸福に勝るものを知らないので、努めるほかない。

好きになれたものを、ちゃんと好きなままでいて、ちゃんと大切にし続ける経験を、この際人でなくて物だっていい、一生に一度でもしてみたい。

余暇

寝起きがあまりよくないので、窓の向こうの爽やかな朝と悪夢の境目がわからない。

魚になりたいな、耳鳴りしないし。

悲しいのにも寂しいのにももう飽きて、飽きたけれども目の前にあるので、仕方なく付き合ってやっている。目が覚めると床に新しく増えて転がっていて、そういえば昨晩またひとつ寂しい事象を発見したなと、淡々と拾い上げる。何もなくても、何かがあっても寂しくなれるのだから私はすごいな、いくらでも出てくるのなら、もっといいものが出てきてくれたらいいのになと思う。

不快な温度の葛湯の中にいるようなイメージで、だらしなく、憂鬱に浸っている。この姿勢ならば溺死しない、こうすれば朝が来る、そういういろいろなうまいやり方を、毎日面倒がりながらも着実にこなしていく。抗えばかえって都合が悪くなるのは知っているので、特に抗いはせず、ただだるいばかりの憂鬱のそばで、健やかに息をしながら、のんびりしている。