選択

メメントするまでもないだろ、どうせ死ぬのに。

野次馬に、自分の死体の写真を撮られたくないという、それくらいしかない。還りたい帰りたいもう一度孵りたいと徘徊して私が行きつく先はどこになるのだろうと考える。どこかとても静かな水面に、音もなく沈みたい。

生きていくことは、死の遂行。設計までしている人は、どれほどいるのだろうか。私はどうしても野次馬に私の死体の写真を撮られたくなくて、あと、できれば、参列者の皆様にとてもハッピーでご機嫌なお葬式を提供したくて、まあそんな感じに死を設計、そしてその遂行、を、していないこともない、つもりだ。

生きるだとか、死ぬだとかについて思いを巡らせて、とても生きてはいられないような日常を、生きている。死以外の原因療法のない病気だ。友人との会話だとか、飲酒だとか、バイトしてお金を貰うだとか、対症療法はないわけではないけれど。ともかくそんな病気を抱えながら、それでも生きる方を選んでいる。よくわからないこの病気、自覚症状としては、花粉症と同じくらい辛い。