顔は知っている他人

世界には、人名がほんの数パターンしかない地域もあるそうで、そのような場所では人名がどのような役割であるのだろうか、感覚的には理解し得ないが、人名が固有名詞としての機能を果たさない、それはつまり二人称が不在の世界なのかもしれないと想像し、それほどまでに美しい世界があるのだろうかと、まるで果ての異国の地に憧れる時と同じ心持で、憧れた。客観的と言う単語は嘘だ。人間が語る以上客観などあるはずがないのだという思想と、「他人の話に興味がない」の最果てに、私は、私の話だけをすることにしている。

主語の不在の美しさを君が語れど、それを語るのは君だろう。

すべては、流動する。

阿部公房が好きだ。箱を被ること、壁の中にいることは、肉体をもつ人間として生きながらにして、匿名性を確保する手段であったのだろう。肉体さえなければ、仲良くなれたはずの人だって、いたかもしれない。