夏2

衝動殺人犯と連続殺人犯の脳のMRIを見比べたり、犯罪白書を読み漁ったり、少年たちの箱庭を見たりなど、している間に、いつの間にか私まで何かを犯した気持ちになって、正常性とは論理的であることではなくて、単に理不尽や矛盾の存在をそのままに置いておけることなのかもしれないと、マジでクソだな、もしかしたら明日くらいに、いじめられっ子が鞄に隠し持っていたお守りのナイフでいじめっ子の喉を刺すかもしれない、だって、夏だし、と思う。

心の中でもう何十人と、丁寧に丁寧に殺してきた。ごくたまに、地元の同級生の名前をFacebookで検索かけて、今は敵ではないなと優越感に浸ることで、明日も胸を張って大学へ行ける。私に対して、馬鹿じゃん(笑)とかつて言っていた女の子、今は私と同じ大学で、こんな馬鹿と同じ大学で恥ずかしくないのかなあ、恥ずかしいねえ、馬鹿と同じでかわいそうだねえ、と思いたいけれど、六秒くらい思うけれど、ほんとのところは彼女の生存を確認した瞬間から彼女にも彼女の人生にも過去にもすべてについての興味が失せてしまった。見返したいとか、特にないし。何かを見下しても楽しくないし、つまらないことに時間を使う自分のつまらなさに嫌気がさして、何かを変えようとしても精々洗濯をしたりトイレの紙を買ったりしかできない。革命、知らず識らずのうちに起こしちゃってるのかもしれない。もしかしたら起こさない方が笑顔で地元へ帰れるのかも、わかりやすい平穏と仲良くやっていけるのかも。

今まで見てきたものも聞いたことも、あることないこと、あったことなかったこと、出会った人も、言葉を交わした人も、大好きだったことも、なかったことにすればなかったことになるなんて、思うなよ。