懐古

かつて素敵だと感じた何かが時間とともに色褪せるのは、私自身がそれだけの時間を過ごした証拠のひとつで、大抵は成長とか、経験を重ねたこととかが理由なので、何かが色褪せること自体は大して悲しむべきものではないと知っている。

幼少期に遊んだ玩具も今ではつまらない、高校時代に好んだ歌詞は今では幼くて恥ずかしい、宝物も今じゃゴミ、そのようなことでいちいち悲しんでいたら生きてはいけない。それでも色褪せてしまったかつてきらめいたものたちへの執着や、そのきらめきを今の自分の五感では感じられなくなってしまった寂しさ、何より何か大切なものをその当時に置いてきてしまったのではないかという心配という矮小な理由によって、悲しみに似た気持ちを感じることはしばしばある。そして、その気持ちを懐古として楽しむことができるようになるのは、もう少し先だろうと思う。

人は、アルバムを作る。

時間が経って色褪せて、やっと丁度よく整って綺麗、みたいなものがあったらいいのにと思って、時間が経つほど綺麗になるものって何だろうと考えた。人間はどうだろうか、きっと人によって評価が分かれるところ。

今が一番綺麗なその一瞬で時を止めたい、綺麗なものに綺麗であってほしいという傲慢な願いが尽きない。