褻の幸せ

「生きていさえすれば」、誰にでも平等で、無条件に与えられる、至極細やかな幸せが好きだ。誕生日や、道端の花や、季節など。なぜならそれらは、優しいから。非日常の幸せに慣れ、幸せの閾値が上がってゆくことに苦痛を覚えて、自らを貶める。本当に馬鹿なことをしている、それでも、道端の花に涙することができなくなったら、「私は」おしまいだと、心から思った。息をしているだけで幸せだと思えるところまで墜ちきるまで、あと一歩。あとどれくらい汚くなったら、楽になれるのだろう。

特別な、非日常の幸せを、幸せと呼んだら、生きることが苦しくなってしまうのではないだろうか。非日常を日常に取り込むような、そんな器用な芸当は、私にはできなかった。晴と褻のギリギリのラインで、果物を買うときは、自分を許すことにしている。雨の日のための、綺麗な傘とかも。