夏の虫に刺された部位を掻き壊して掻き壊して血が出るまで、日がな一日、人の話す声が聞こえてくる気がするというだけの理由でテレビの前にうずくまり、脳まで届く情報は専ら気象予報の音声ばかり、ただこうしてじっと息をしているだけなのに部屋はごみで溢れていくことにうんざりとしながら、また夏がやってきているのを感じている。

筆遣いと言うのだろうか。街が毎日、同じ街を題材にした違う絵画のように見え、ひどく混乱している。人や建物や信号をはじめとした諸々の輪郭が、あまりにはっきりとそれぞれに自己主張をし、全体の調和を損なっている日もあれば、すべてのものの輪郭がぼけて滲んで人間と建物の区別さえつかないような日もある。昨年は、夏になるまでに終わらせてくれと、ただ懇願していた。特に終わらせるほどのものなど、何一つ、ないのに。家の前に生える木の、葉っぱ一枚一枚の緑色がすべて違った緑色であることに眩暈を催し家から出ることができなかったが、海へ行くと思えば外へ出られた。

夏はとても暴力的な季節だと思う。今年はなるべく夏が美しくあるために、紫陽花がよく咲くといい。特に白いものを、愛している。昨年は空梅雨で、水分の足りていない紫陽花が、精々咲いているくらいであった。