顔は知っている他人

世界には、人名がほんの数パターンしかない地域もあるそうで、そのような場所では人名がどのような役割であるのだろうか、感覚的には理解し得ないが、人名が固有名詞としての機能を果たさない、それはつまり二人称が不在の世界なのかもしれないと想像し、それほどまでに美しい世界があるのだろうかと、まるで果ての異国の地に憧れる時と同じ心持で、憧れた。客観的と言う単語は嘘だ。人間が語る以上客観などあるはずがないのだという思想と、「他人の話に興味がない」の最果てに、私は、私の話だけをすることにしている。

主語の不在の美しさを君が語れど、それを語るのは君だろう。

すべては、流動する。

阿部公房が好きだ。箱を被ること、壁の中にいることは、肉体をもつ人間として生きながらにして、匿名性を確保する手段であったのだろう。肉体さえなければ、仲良くなれたはずの人だって、いたかもしれない。

選択

メメントするまでもないだろ、どうせ死ぬのに。

野次馬に、自分の死体の写真を撮られたくないという、それくらいしかない。還りたい帰りたいもう一度孵りたいと徘徊して私が行きつく先はどこになるのだろうと考える。どこかとても静かな水面に、音もなく沈みたい。

生きていくことは、死の遂行。設計までしている人は、どれほどいるのだろうか。私はどうしても野次馬に私の死体の写真を撮られたくなくて、あと、できれば、参列者の皆様にとてもハッピーでご機嫌なお葬式を提供したくて、まあそんな感じに死を設計、そしてその遂行、を、していないこともない、つもりだ。

生きるだとか、死ぬだとかについて思いを巡らせて、とても生きてはいられないような日常を、生きている。死以外の原因療法のない病気だ。友人との会話だとか、飲酒だとか、バイトしてお金を貰うだとか、対症療法はないわけではないけれど。ともかくそんな病気を抱えながら、それでも生きる方を選んでいる。よくわからないこの病気、自覚症状としては、花粉症と同じくらい辛い。

褻の幸せ

「生きていさえすれば」、誰にでも平等で、無条件に与えられる、至極細やかな幸せが好きだ。誕生日や、道端の花や、季節など。なぜならそれらは、優しいから。非日常の幸せに慣れ、幸せの閾値が上がってゆくことに苦痛を覚えて、自らを貶める。本当に馬鹿なことをしている、それでも、道端の花に涙することができなくなったら、「私は」おしまいだと、心から思った。息をしているだけで幸せだと思えるところまで墜ちきるまで、あと一歩。あとどれくらい汚くなったら、楽になれるのだろう。

特別な、非日常の幸せを、幸せと呼んだら、生きることが苦しくなってしまうのではないだろうか。非日常を日常に取り込むような、そんな器用な芸当は、私にはできなかった。晴と褻のギリギリのラインで、果物を買うときは、自分を許すことにしている。雨の日のための、綺麗な傘とかも。

2017年7月7日

7月7日 

アスファルトに乾いたもぐらの死体を転がすと腹には体液で黒くつやつやとした穴が開いており蛆がわいている 私はその穴に吸い殻を何本も何本も、まるで線香のように、かわいそうにと青空の下、蛆の焦げる匂いと照り返しの小便臭さを嗅ぎながら

日除けのない喫煙所で垂れる汗を気にすることもなく、ひたすらに地面を這う蟻を爪先で潰し、焼き殺し、退屈をしのいでいる 滝のような汗はアスファルトに落下、地表に湧く大気に私の姿は溶け込み、熱中症 今日も小さな殺生をしました 私の吐く二酸化炭素で夏の空気がよごれること

空梅雨と夏に紫陽花がやられて、ぶどうがくさって、斑点が出てきたみたいな、色をしている、その脇に 夏の色の花が咲いている 私は、木槿の花を毟っては捨ての作業に熱中している 

空には、ごみを焼く煙突が、遠くのほうに、目下の緑を突き抜けて

真夏の涼しい色をした青空に聳える 町中のごみを焼くしろとあおのしましまは、どこか遠くの 大きな船の煙突を思わせ とても綺麗だと思いました

ゆるやかな解凍

冷凍庫から豚肉を出して、その辺に置いておいて、キッチンの床に丸くなり、友達に会いたくないなあと考えていたら、昼下がりの生ぬるい気温に、肉が、どろどろに溶けていた。親指と人差し指でつまむと、指先に、ぶよぶよしたお肉の、生臭い汁が、ついた。肉の自然解凍の経過くらいのゆるやかさと曖昧さでしか、物を考えることができないくらいに、疲れている。

自然解凍した、びちゃびちゃの肉を、持て余している。食欲はないのであまり食べたくはなく、ではなぜ冷凍庫から出したのかと自問自答するも全くわからず、私はとても困った。とにかくこの肉を、せめて食用でなくても何かに使ってやらなければ死んだ豚に失礼な気がして、とりあえず、箸を手に取り、仏様に供えるご飯にやるみたいに、突き立てた。他には、何も、思いつかなかった。

悪意

嫌いな人がいなくて、とっても寂しい。小学生の時、とても嫌いだった女の子が、ベタを大切に飼っていた。私はその子の家へ呼ばれる度、そのベタを便所に流す空想ばかり、何度も何度も繰り返していた。その空想は、とても気持ちのよいものだった。遂にベタを便所に流す機会は訪れず、中学に上がったら自然と縁が切れた。高校の時、嫌いだった女の子の携帯電話が駅のホームに落ちているのを見つけた。線路に落とすことも、駅のゴミ箱に捨てることもできたのに、丁寧にもその子の元へ、届けてしまった。その子とも、自然に縁が切れた。

* 

嫌いな人がいなくて、とっても、寂しい。

今ではもう、疲れてしまって、人を嫌う体力など残っていない。あの時に、ベタを便所に流していたら、よかったのに。あの時に、携帯電話を、何食わぬ顔で、ゴミ箱に突っ込んでいたら、――当時どれだけ爽快だっただろう、現在どれだけ息がしやすかっただろう、と、今でもしばしば、思い出すたびに、後悔をしている。

雲霧

500個くらいのやるせない出来事が、小さなものから大きなものまで立て続けに起こり、その複合的な鬱憤が、それはもう視界の端から思考の端まで隅々に、ぼんやりとした虚しさや諦めや呆れは悲しみよりも悲しいなと思いつつ、取るに足らないクソみたいなそれらと、真摯に、向き合ったり、しているのでした。
嬉しいことがあるとすぐに忘れたことも忘れてしまうような、見過ごしてやってもいいちょっとの虚しさだって、丁寧に丁寧に、大事にしてあげるよ。

過去が私を囚えているのではなく、自ら意識的に、過去に囚われているところがある。どうしても、弱い部分を大事に、ずっと、持っておきたい。

500個くらいのやるせない出来事の後に、強くなったねと、たくさんの人に言われた。自分もそう思う。私は確実に、強くなってしまっている。
かつての弱さ、今の弱さ、そしていつか弱さと呼ぶのであろう今の強さ。不快指数は極めて高く、足元に重くもたつくぼんやりしたそれらを、決して振り払ってしまわぬように気をつけて、丁寧に丁寧に、それでも速度は上げて、全部そのままに、一緒に前へと連れて行ってあげたい。

供養という言葉が、よく似合う。私の命が尽きる瞬間に、みんな一緒に、供養してあげるよ。